Report15<COLUMN>

デジタル時代のアナログレガシー ②
いまだに使われる「VTR」というワードの話

 デジタル時代の現代でもまだ、アナログ時代からのレガシーが残っている。2年前の第一弾「フィールド周波数59.94Hz」に続き、今回はその第二弾「VTR」というワード。
 現在でも、番組内で「・・・では、もう一度VTRを見てみましょう」、「○○さんは今回、VTR出演で・・・」などという言葉を耳にすることがある。主にサブ出しの収録映像を指す場合に使われがちだが、もちろん、今、放送局内でメインの運用でVTRを使うことはない。その映像はサーバーから送られてくるものである。そもそもVTRは映像ではなくハードウエアである。もっともこの用法に異を唱えたいわけではない。サブ出し映像のような意味合いとしてすっかり定着してしまっている「VTR」というワード。これを、他の正確な用語で言い換えてもどうしても違和感が出てきてしまう。強いて言えば「V(ブイ)」と言えば間違いではないが、状況によってはこれもしっくりこない。やはり「VTR」がわかりやすい。おそらくではあるが、これからもVTRという言葉は使われ続けていくのではないか。では、今の若い世代はVTRについてどれだけ知っているだろうか。今回はいまだに使われている「VTR」というワードから、弊社の古い雑誌記事などを交え、ちょっと懐かしい話、この「デジタル時代のアナログレガシー」に触れていきたい。(編集部)

事件は放送局ではなく、現場で起きていた

 アナログ放送が停波となったのが2011年。放送がフルデジタルの時代になって今年で15年となる。いまやフルデジタルどころか、人工知能がオーダーに合わせて映像を作ってくれる時代になってしまった。しかし、今でも、テレビの番組内で「VTR」という言葉はよく使われる。サブ出し収録映像の代名詞のように使用されているVTRだが、ご存じのように正式には「VideoTapeRecorder」、つまり、映像を記録再生するハードウエアそのものの名称である。
 VTRの話をする前に、テレビ放送の歴史を振り返る。テレビ放送が開始されたのが1953年、黎明期は記録した映像を送出するのはごくわずかで、大半はカメラで撮影した映像をそのままリアルタイムで放送するものだった。人気だったのは、野球やプロレス、相撲などのスポーツ、スタジオで繰り広げられる歌番組やバラエティ。有名な話だが、初期のテレビはドラマでさえ生放送されていたのである。ニュース番組のほとんどは、スタジオでアナウンサーが朗々と原稿を読み上げるスタイル、現在のように必ずニュース映像が映されるわけではない。なにせ当時は映像を記録するメディアはフィルムしかなかったのである。VTRが本格的に放送局に導入されるようになるまで、映像の収録といえばフィルムで行われるものだった。

半世紀以上前、カラー放送が始まってまだ10 年経たない時代の
フィルムカメラ「日立TB‐40 形カラーフィルムカメラ」   
 テレシネ装置のことである。                
     弊社放送ジャーナル・臨時増刊「カラーテレビの全て 第3集」    
                  (1967 年8 月刊行)より
「カラーフィルムまたはスライドなどの撮影に使用する分離輝度
方式の4ビジコン・カラーフィルムカメラ装置で、昭和39 年
以来・・・国内市場の40%を占有・・・」(同号記事より抜粋)

 ニュース取材は16mmフィルムが中心だったが、フィルムは撮影した映像をすぐに見ることはできない。撮影後に必要なのが現像処理である。撮影する際のフィルムには、光に反応する乳剤と呼ばれる薬品が塗布され、撮影後はフィルムを現像液と呼ばれる化学薬品の液体に浸して画像をフィルムに定着させ(ネガフィルム)、これをさらに上映用のフィルムに焼き付けて(ポジフィルム)、初めて画を目にすることができる。
 さらに言えば、事件や事故は放送局の近所で起きているわけではない。有名なドラマのセリフではないが、いつどこで発生するかわからない現場で起きている。今なら取材した映像は伝送装置で瞬時に放送局に送られるが、当時はフィルムとして放送局や現像所までの長い道のりを持ち帰らなければならない。そして、日本の道路は今ほど完全舗装されていなかった。ちなみに1960年代まで新聞社は事件現場から本社に記事や撮影フィルムを送るのに伝書鳩を使っていた、そんな時代である。放送局に届いたニュース映像は、今度はそこから編集作業を行わなければならない。現在のビデオ編集とは違う、フィルムを直接切ってつなげていくスプライス編集(手切り編集)という作業である。ニュース映像が完成するまで、今では考えられない時間と労力を費やしていたのである。
 そうこうして完成した映像だが、フィルム映像はそもそも映画館などの劇場での上映には都合が良かったが、放送電波に直接乗せることができない。そこで、フィルムに記録された映像を放送波用のビデオ信号に変換する「テレシネ」装置を使ってダイレクト送出を行っていた。ビデオとはラテン語で「見る」という意味の言葉であり、そこから派生したものだそうである。いずれにしてもここまでの話では、撮影素材を放送にのせるというのは、大変そうではあるが、何とかなりそうではある。しかし、それではすまされないものもあった。一日に何度も同じ映像が繰り返される映像。CMである。

横浜シネマ現像所ビデオフィルムセンター(現ヨコシネ
DIA)のテレシネ装置「ランクシンテル社マークⅢ」。フィ
ルムをビデオ信号に変換する。かつてのテレビ放送では
欠かせなかった。弊社月刊放送ジャーナル1979.11 より

複雑な作業を強いられるCM送出

 この時代のフィルムのCMはどうだったかと考えると、単純にフィルムを放送順につないでテレシネで送出すればよいのではと考えがちだが、そんな簡単な話ではない。映像用フィルムは、前述したように劇場などでの上映を前提に設計されており、画の部分は間欠動作というコマ送りで、音の部分はリニアに記録されている。上映に使われる映写機は、フィルムに光を当てて画面を投射しているわけだが、音を再生する部分は少し離れた箇所に位置しており、画と音の記録場所が違って、音のほうが先行して記録されている。このため、画に合わせてつなぎ編集してしまうと、先行したコマ分の音がなくなってしまう。これを防ぐには現像所でマスターの画ネガと音ネガを放送順にスプライス編集して、そこからポジの映写用プリントを起こすという複雑な作業を行う必要がある。
 CMだけではない。フィルム制作のドラマにしてもフィルムの完パケではテレシネからのダイレクト送出を行っていたため、スプライス箇所があると放送事故の原因になりかねないことから、必ず現像所でスプライスの箇所のないプリントを起こしていた。この作業を担っていたコマーシャルプロダクションや現像所にとっては大きな収入源となっていたが、スポンサーや放送局にとっては大きな費用負担だった。やはり、放送には専門の記録システムが必要だったのである。
 一方、テレビ先進国だったアメリカでは早くから、放送専用のハードウエアの開発が行われていた。日本がテレビ放送を開始した3年後の1956年に、そのシステムが発表された。映像は放送用のビデオ信号にそのまま変換されたうえで、磁気テープに記録するシステム。ビデオテープレコーダー、VTRである。開発したのは米アンペックス社。記録テープがむき出しになったオープンリール式のこのシステムは、それまでのフィルムによる記録システムとは違い、記録媒体を一見しても、それは単なる黒くて薄いフィルムテープで、目に見える画像はない。ただし、そこには映像と音声の電気信号が記録され、VTRはこの信号を映像化する機構を内蔵している。現在からすると当たり前ではあるが、テレシネ装置を介さずに、そのまま、放送波にのせることができるシステムである。アメリカでは一足先にVTR時代の幕開けを迎えていたのである。

VTRの映像をフィルム用に変換し記録するキネレコ装置「テレダイ
ン社CTR-3」横浜現像所(現ヨコシネDIA)。アナログの時代、アーカ
イブはVTRでなくフィルムで行うことも多かった。       
                 月刊放送ジャーナル1979.11 より。

画期的だったヘリカルスキャン方式

 初めての商用化VTRは2インチ、つまり約5センチの磁気テープを使用していた。本体も非常に大型であり、ちょっとした冷蔵庫をいくつか並べたようなサイズだ。その仕組みはビデオヘッドと呼ばれる記録・再生する機構に磁気テープを密着させて走行させ、映像・音声信号を記録していく。ところが、放送用のビデオ信号は情報量が多く、そのためにはヘッドとテープの相対速度を上げなければならない。かといってテープを高速走行させれば、テープへの負担が大きくなるのとともに、走行が不安定となりエラーや歪みの原因になる。そこで考えられたのが、逆にヘッドを高速で回転させる方式である。ビデオヘッドを取り付けて回転させる機構はドラムと呼ばれたが、1回転で4回の記録・再生ができるように90度ごとに4つのヘッドが取り付けられた。この通称2インチ4ヘッドVTRは、2インチ幅のテープにほぼ垂直にヘッドが配置され1枚の画を16分割して4つのヘッドで書き込む方式をとっていた。テープ走行に対して、ほぼ垂直に書き込むため、走行ムラの影響がなく大きな補正が必要なかった。後継機種にはポータブルVTRもラインナップされており、野外でのVTR収録に欠かせないシステムとなっていた。
 しかし、この時代に本格的なVTR収録を行うとなると、大型の中継車、大型のVTR車、そして大型の電源車を連ねていかなければならず、NHKの大河ドラマなどでも、スタジオシーンはVTR、屋外シーンはフィルムといった収録が行われていた。
 国内メーカーでも相次いでVTRの開発が始まり、1959年には、ソニー、芝電機らが相次いで試作機や商用1号機を発表していった。また、東芝はこの年、ヘリカルスキャンVTRという、その後の流れを作るVTRを発表している。ヘリカルとは斜めという意味であり、ビデオヘッドのドラムをテープ走行に対して斜めに傾けて回転させるという方法である。それまでは、テープの垂直方向にデータを書き込んでいたため、テープ幅を狭くするとデータ一本の長さが短くなってしまった。ところが、この斜め回転のドラムでは、ビデオヘッドがテープに対して斜めに書き込むことができ、テープ幅にかかわらず1本のデータ長を非常に長くとることが可能になるという画期的なシステムであった。この方式のおかげでテープ幅を狭くしていくことが可能となり、後のVTR小型化につながっていったのである。

左側が2 インチVTR(千代田ビデオ)月刊放送ジャーナル1979.11
今では見ることはないオープンリール方式。リールをアームにはめて
作動させる。

フォード大統領来日が業界の黒船に

 2インチVTRは、乾いた大地に雨がしみこむように日本国内でも自然と導入が進んでいった。また、よりサイズの小さいVTRの開発も進められるようになっていった。ただし、一気にフィルムがVTRに置き換わったわけではなく、ドラマやCM、ニュースなどでも依然として、フィルムが多用されていた。機動性という意味では、VTRに比べるとまだフィルムに分があったから、撮影から完成までのエコシステムがフィルムの方が成熟していたから、伝統的なスタッフがフィルムの質感を好んでいたから、フィルムより磁気テープの方がまだコストが高かったから・・・理由は様々であるが、やはり、まったく新しいシステムに乗り換えるのは、少なからずハードルはある。ニュース映像用にはポジフィルムが使われていたため、テレビ局は自社系列で現像所を持つか、契約の現像所を持っていた。東京の放送局でも関連会社や外部の現像所が、局内や敷地内の建物で現像設備を運用しており、放送局に行くと現像液特有の酢酸の匂いのする場所が必ずあった。

ポストプロダクションのビッツで完成直後のVTR
編集室。2 インチVTRをベースに構成された。
          月刊放送ジャーナル1978.5 より。


 時代は進み、1974年11月18日、米国のフォード大統領が来日した時、同行した米国のテレビ局のクルーを見て、16mmフィルムカメラを構えていた日本のテレビ局の取材陣は驚愕したという。彼らが持参した取材器材は、フィルムカメラではなく、当時開発されたばかりのハンディビデオカメラと日本製の3/4 インチカセットを使用したUマチックポータブルVTRだったのだ。日本では、前述のようにニュース取材は16mmフィルムが中心に使われており、ハンディカメラとポータブルVTRによるENG(Electronic News Gathering)システムは、東名阪のキー局が試験的に導入しているだけだった。
 このことが直接的なきっかけというわけではないが、このころからビデオに本格的にシフトしようという動きが各所で起こってきた。1975年にはSMPTEがタイムコードを規格化し電子編集(当時はそう呼ばれていた)の環境が整ってくる。また、2インチの半分のテープサイズの1インチヘリカルスキャンVTRが各メーカーから相次いで発表される。1インチVTRについて弊社月刊放送ジャーナル誌1977年2月号の記事を見ると「日本に民放テレビ局が誕生してから四半世紀、このテレビ業界に大きな波が打ち寄せてきている」との書き出しで1インチVTRを紹介している。日本市場では東芝と米アンペックスの合弁会社である東芝アンペックスから1インチΩ巻きのVPR-1、ソニーから1.5ヘッドΩ巻きのBVH-1000、NECから1ヘッドα巻きのTT-1000/TT-3000が商品化され、一部の放送局でCMや番組のシステムとして運用が始まっていた。Ω巻きとはテープをドラムに密着させる方法の一つで、ドラムを包むように巻く方法、α巻きとはドラムの周りをテープがぐるっと一回転して巻く方法である。方やフィルム制作もまだ衰えてはおらず、今では信じられないかもしれないが、フィルムVS ビデオという論議が真剣に交わされ、ビデオの画は深みがないという人がいれば、ビデオこそテレビの画だ、などという論争が行われていた。
 前述の記事には「1インチVTRは、2インチ4ヘッドVTRに比べて、イニシャルコストは約1/4、ランニングコストは約1/10に低減され、本体の大きさやテープの重量などでも小型軽量化が図られており、VTRの運用面で優位である」と書かれている。
 ハイバンドVTRの新たな規格として登場した1インチVTRは、2インチ4ヘッドVTRが1画面を16分割して記録するセグメント記録を採用していたのに対して、1画面を分割することなく1トラックに記録するノンセグメント記録方式が採用されていた。1画面を1トラックに記録していたため、スロー再生や早送りなどでも画面の確認が可能で、再生速度に応じてヘッドが追従する機能を備えた製品も開発された。一方、1インチVTRは、テープ斜め横方向に記録トラックを長くするため、水平方向に近い角度で記録される。テープの走行ムラやヘッドの回転ムラがそのまま映像に影響してしまうジッターという欠点があり、現在では死語に近くなってしまったが、映像の時間軸の補正を行うTBC(TimeBase Collector)が不可欠であった。
 1インチVTRは、アンペックス社のタイプAフォーマット、ボッシュ・フェルンゼ社のタイプBフォーマット、ソニーとアンペックスが提案したタイプCフォーマット、NECのタイプDフォーマットの4方式が登場した。ソニー案にアンペックスが同意することで誕生したSMPTEタイプCフォーマットは、SMPTEによって規格化され、世界中の放送局に広く普及した。タイプBフォーマットは、欧州を中心に数千台規模で普及、日本でもレーザーディスク社と東通ビデオセンターが採用して話題となった。一方、タイプDフォーマットは、日本限定の規格となってしまったが、民放テレビ局のCMバンクシステムや、深夜番組の一本化送出用VTRとして広く使われるようになった。
 それでは、1インチVTRのテレビ局の導入状況はどうだったかというと、1979年9月に弊社が民放テレビ局93社を対象に行った1インチVTRの保有状況調査が弊誌月刊放送ジャーナル11月号に掲載されている。
 この調査によると、民放テレビ局93社中、1インチVTRの導入社は70社で520台が稼働、未導入の20数社においても1980年度中には導入を図ると記されている。用途としては、送出用、番組制作、音声多重用、CMバンク、中継車搭載用と、多岐にわたっている。
 機種別では、1インチCフォーマットVTRのBVH-1000が158台、VPR-2が69台、BVH-500が21台、VPR-20が12台となっている。また、1インチDフォーマットVTRでは、TT-3000が101台、TTR-5が82台、TT-5000が21台という結果となっている。

CM送出は、後にVTRを使ったCMバンクとし
て全国の放送局に導入されるようになていった。
写真はフジテレビ「フジCM バンク」
 ファイリング用の2インチVTR2台と一本化
および送出用の1インチVTR5台に
コントロール用コンピュータなどで構成されていた。
1CM1カセットにファイリングされたCMを1インチ
VTRに1本化し、同種の1インチVTRで送出された。
左は1インチVTR 「ソニーBVH-1000」
月刊放送ジャーナル1978.4 より

世界初の音声多重放送が日本でスタート 

 1インチVTRはサイズや映像だけでなく、音声機能もその普及に大きな追い風となった。テレビ音声多重放送は1978年8月29日に電波監理審議会の答申を得て、電波法施行規則第3省令の一部改正を決定し、これにより「テレビジョン音声多重放送の免許方針」を原案通り策定した。2インチ4ヘッドVTRは、音声トラックがモノラルであったためテレビ音声多重放送には対応できず、2chの音声トラックを持つ1インチVTRが送出用VTRの主役に躍り出る結果となった。
 実際のテレビ音声多重放送は、免許方針の策定を経て、日本テレビが9月28日に、NHKと読売テレビが10月1日に、フジテレビが10月2日に、東京放送(TBS)が11月20日に、テレビ朝日が12月17日に、毎日放送が12月10日に、東京12ch(テレビ東京)が12月25日に放送を開始した。また、テレビ音声多重放送の中継回線も急速に整備され、12月20日には全国的なネットワークが完成した。
 なお、テレビ音声多重放送は、日本が世界に先駆けてスタートしたことも注目される。また、テレビ音声多重放送のスタートは、ポストプロダクションの編集室と並んで重要な設備となったMAルームの誕生につながったことも忘れてはならないだろう。

1978 年7月4日、総理官邸で行われた音声多重放送のデ
モンストレーション。当時の福田首相をはじめ、宮沢経
済企画庁長官、安倍官房長官ほかが顔をそろえた。  
月刊放送ジャーナル1978.9 より


 VTRはこの後、さらにサイズをコンパクト化したM/MⅡフォーマット(パナソニック)やベータカム/ベータカムSP(ソニー)などの1/2インチVTRが大ヒットし、標準システムとなり、屋外撮影においてもカメラ一体型で機動性に富んだポータブルシステムなど、優位性を発揮。また、取材現場からマイクロ波で局に直接、素材を送るFPUなど、その環境はどんどん進化を遂げ、やがて、ビデオ信号のデジタル化の時代に入っていく。そこにも興味深い話は様々とあるのだが、今回はあくまで「アナログレガシー」であり、紙面の都合もあり、この辺りまでとしておく。現在の「VTR」というワードはいわば誤用とも言えるのだが、放送がここまで発展したことに欠くことができないこのハードウエアの名称が、今後も残っていくのもまた、悪くないのではないだろうか。

1 インチVTRによる収録システム
ポストプロダクション千代田ビデオの
1 インチVTRによる編集室
月刊放送ジャーナル1980.1 より